特集 1
Interview

理工学部
ライフサイエンス研究のいま

基礎研究力と個性で生命現象に迫る「ライフサイエンス研究センター」を新設

多数の論文発表や、科学雑誌『Newton』における「理工系大学ランキング」での高評価獲得など躍進を遂げる本学理工学部。2022年4月には、「理工学部附置ライフサイエンス研究センター(Life Science Research Center/以下LSC)」を新設しました。本学におけるライフサイエンス研究の最新状況について、LSCセンター長・阿部文快教授が語りました。

理工学部 化学・生命科学科 教授、理工学部附置ライフサイエンス研究センター センター長

阿部 文快

1994年、東北大学大学院理学研究科生物学専攻 博士課程修了。東北大学 博士(理学)。海洋科学技術センター 極限環境生物フロンティア研究システム グループリーダー、ジョンズ・ホプキンス大学大学生物学部 客員研究員、国立研究開発法人海洋研究開発機構 海洋・極限環境生物圏領域 チームリーダー、横浜市立大学大学院国際総合科学研究科環境生物系 客員教授を経て、2010年、青山学院大学理工学部 化学・生命科学科 准教授に就任し、2015年から教授。専門は細胞生物学、分子生物学、圧力生理学。日本農芸化学会、極限環境生物学会、酵母遺伝学フォーラム、日本高圧力学会に所属。

ライフサイエンスとLSC

ライフサイエンスとはそもそもどういった学問なのでしょう。生き物を扱う研究はすべてライフサイエンスですが、LSCでは「生き物が織りなすさまざまな生命現象とその背後にある精緻なメカニズムを解明する学問」ととらえています。「生きているとはどういう状態なのか? 生きるために必要な仕組みを生物はどうやって作り上げたのか?」スケールの大きな疑問ですが、それらに答えることがLSCの大きな目標の一つです。生命の基本単位は「細胞」です。「生命の“基本原理”を細胞レベルで理解する」と言い換えることもできます。

ライフサイエンスは私たちの暮らしにも深く関わっています。特に、「医療」「食糧」「環境」という3つの領域で、人類がこの地球上で存続するため解決すべき問題に、研究者たちは全力で取り組んでいます。病気の治療や創薬を目指す医療、バイオテクノロジーを利用し食糧を増産する研究、微生物の力で土壌や水質汚染を解消する環境保全などです。ここで多くの人は次のように考えるでしょう。「LSCで細胞のことを一生懸命調べて、それは何の役に立つんですか?」「病気を治す薬の開発や、食糧や環境問題の解決などについての研究はしないんですか?」

もっともな疑問だと思います。実は先に述べた3領域は互いに独立しているように見えますが、もとをたどればいずれも「細胞」の働きをコントロールしたり、「細胞」が持つ機能を利用したりする点で共通しています。つまり、細胞の中で起きている出来事をつぶさに観察することが最先端研究には不可欠です。だからこそ、LSCでは細胞のことをより深く理解し、未知なる生命現象に光を当てそのメカニズムの解明に取り組んでいるのです。

「研究」と聞くと、自分たちと異なる遠い世界で行われている難解なこと、と考える人が多いかもしれません。しかし、ライフサイエンスの知識を深めることは、私たちの健康と将来の選択においてとても重要なのです。遺伝子操作や遺伝子検査について考えてみましょう。遺伝子組換えとうもろこし、ゲノム編集トマト、ゲノム編集による難病の治療、遺伝子検査で自分の未来が分かるとしたら? これらはいずれも既に私たちの日常に入り込んでいる、もしくは達成目前の最先端テクノロジーです。何を選び何を捨てるか。正しい知識さえあればニセ情報に振り回されることなく、有益なものを選択できるはずです。

LSCの実験室がある相模原キャンパスの研究棟。機器分析センターと先端技術研究開発センターも同じ建物の中にあります

理工学部には現在、工学系と情報系の附置研究センターが既に設置されています。しかしライフサイエンスの研究は組織化されていませんでした。一方、世の中ではiPS細胞やゲノム編集、コロナウイルスの脅威など、ライフサイエンス分野の重要性はもはや世界の共通認識です。そこで、本学理工学部におけるライフサイエンス研究を集約し、持続可能な研究拠点を形成するためLSCが新設されました。基礎研究を深く追求することを第一の目標とし、その成果を社会全体の利益につなげられるよう努力しています。

LSCのベースとなったのが、「生命システムの動態計測と複雑系解析における革新的基盤形成」というAOYAMA VISIONプロジェクトです。異分野の6研究室が連携し、2019〜2021年の3年間にさまざまな成果を生み出しました。その一部はJournal of Cell Science誌の“Research Highlight”に取り上げられ、国際的にも高く評価されたと言えます。こうした研究結果を背景として文部科学省に附置研究センターの申請を行い、それが認可され今日に至ります。


*理工学部附置研究センター:機器分析センター、先端技術研究開発センター(CAT)、先端情報技術研究センター(CAIR)

LSCのベースとなったAOYAMA VISIONによるプロジェクト「生命システムの動態計測と複雑系解析における革新的基盤形成」とLSCの新設

LSCは研究棟内に専用実験室を配備していますが、本質的にはライフサイエンスに関わる研究室の“ゆるやかな共同体”と言えます。ゆるやかな共同体とはいったいどういうことでしょう? 現在、LSCは化学・生命科学科、物理科学科、数理サイエンス学科のいずれかを所属先とする8つの研究室から構成されています。しかし、決してこれらの研究室が一致団結し、一つの目標に向かって突き進んでいるわけではありません。必要なときに必要なだけ、ゆるやかに協力し合うのです。

これにはいくつかの理由があります。第一に、基礎研究の原動力はそれぞれの研究者の“好奇心”だからです。好奇心とは与えられるものでも上から降ってくるものでもありません。ただ面白いから、もっと知りたいから。社会にイノベーションをもたらす研究の多くは、やっているときには何の役に立つのか分かりません。だからこそ革新的なわけです。第二に、研究の“多様性”です。人間社会も生態系も、均一な集団であるほど環境の劇的な変化には脆弱(ぜいじゃく)です。一方、危機的状況に置かれたときにも、さまざまな研究の蓄積があれば、そのうちどれかが危機を乗り切る具体策やヒントを提供してくれるのです。新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンの開発が極めて迅速に行われたのもそれを物語っています。

生物がもつ遺伝子も多様性に富むのですが、面白いことにどんな働きをしているのか分からない遺伝子がたくさん存在します。私が研究に用いている出芽酵母(パン酵母)は6,600個ほどの遺伝子を持っているのですが、そのうち約700個は何をやっているのか全く分かっていません。地球に誕生してから数億年もの間、なぜ酵母はそれらの遺伝子を捨てずに残してきたのでしょうか? 何かわけがあるはずです。

LSCでは研究者の個性をもっとも重視し、柔軟かつ多様性のある体制づくりを目指しています。さまざまなバックグラウンドをもった人たちが適切なタイミングで集合離散し、新しいものを生み出す場となることを理想とします。そこで、各プロジェクトを3年タームとして再公募し、流動性を高めています。申請されたプロジェクトはLSC運営委員会により審査された後、研究活動が実施されます。現在、右に示す8つの研究プロジェクトが走っています。

LSCを構成する研究室と主な研究テーマ 「酵母における栄養源センシングとストレス応答機構、および未知遺伝子機能の解明」   阿部 文快 研究室(化学・生命科学科)

「腫瘍内特異的環境で駆動する機能性材料の開発」   田邉 一仁 研究室(化学・生命科学科)

「生体内モデルにおける異常拡散現象の時間分解計測と分子動力学計算」   鈴木 正 研究室(化学・生命科学科)

「多元的ラマン分光/温度イメージングによるマイクロ空間のin situ分析」   坂本 章 研究室(化学・生命科学科)

「放線菌における二次代謝機構の解明と物質生産への応用」   木谷 茂 研究室(化学・生命科学科)

「分子モーターキネシンの協調的歩行運動の高速一分子観察」   富重 道雄 研究室(物理科学科)

「細胞内液・液相分離についての理論的研究」   坂上 貴洋 研究室(物理科学科)

「感染症流行動態の数理モデリングと数理解析」   中田 行彦 研究室(数理サイエンス学科)

LSCでは、各研究室が所有するさまざまな機器類、例えば共焦点レーザー顕微鏡や画像撮影装置、フローサイトメトリーや高速液体クロマトグラフィーなどを共用するほか、機器分析センターに設置されている透過型電子顕微鏡などの大型設備も活用しています。こうしてソフト面とハード面から本学におけるライフサイエンスの研究は日々進化を続けているのです。

LSCでは各研究室が所有する装置を共用するほか、機器分析センターの大型設備も活用して研究を行っています(写真は共焦点レーザー顕微鏡)

LSCが掲げる理念とイノベーション

LSCでは以下の3つの理念を掲げています。

1)個性とオリジナリティーを尊重する
2)基礎研究をやり抜く
3)価値を創造する


1)個性とオリジナリティーを尊重する

サイエンスにおいて客観性はもちろん重要なのですが、事実を積み重ねればそれで成立するかというとそんなことはありません。なぜでしょう? それは、サイエンスが人間の主観的な営みによるものだからです。ある薬を培養液に投与したら微生物の99.9%が死滅したとしましょう。これを見て、99.9%も殺菌できる薬の作用機構を知りたいと思う人もいれば、生き残った0.1%の菌は他とどう違うのだろうと考える人もいます。“個性”とか“独創性”は絶対無二を暗示しますが、こと研究においては必ずしもそうではありません。そんなに大げさに考える必要はないのです。観察に始まり、結論を出すまでの研究のプロセスはとても長く複雑です。自分はこう考える、こっちに進んでみよう、そういった主体的な選択と判断を繰り返して、やがて誰も見たことも聞いたこともないストーリーが誕生したとき、人はそれを“独創的な研究”と呼びます。情熱を注げる研究テーマに集中することがまず大切で、これはLSCの若手研究者育成においても意識していることです。

個性とオリジナリティーを尊重。一人ひとりの研究者が、好奇心にかられ情熱を注いで研究することが独創性を育みます(写真は中間発表会を終えた生命科学コースの博士前期(修士)課程の大学院生たち)

2)基礎研究をやり抜く

基礎研究とは自然界に横たわる法則や未知の現象を見出し、それを科学の言葉で記載する作業です。記載されたものは人類共通の財産となり、世代を超えて受け継がれます。ノーベル賞受賞者の中には、その研究が面白いから始め、もっと知りたいから続けてきたという人がたくさんいます。役に立つかどうかは本人にも、ましてや周囲には分からなかったでしょう。けれども優れた基礎研究には“応用の芽”みたいなものがあって、いつか必ず社会の役に立ちます。最近日本では、すぐ役に立つことが求められ、息の長い基礎研究がしにくくなっています。短期的な成果を求めるあまり研究が小粒になり、同時に研究者の意欲もそがれてしまう悪循環です。日本の研究から独創性が失われ始めている原因の一つと考えています。LSCではとにかく基礎研究をやり抜く、面白いと思ったらとことん追求する。そして次にふれますが、「おや? これを使えばあんなことできるかも」といった新たな価値を生み出すちょっとした発想の転換も大切にしています。

基礎研究の貫徹。優れた基礎研究はいつか必ず応用につながります。LSCでは基礎研究を重視し、やり抜くことを大切にしています

3)価値を創造する

基礎研究の重要性を述べてきましたが、決して実用性のある応用研究を軽視しているわけではありません。LSCでは、既に世の中にある需要を満たすのではなく、未来のニーズそのものを開拓していく“価値創造”の拠点となることを目指しています。価値創造を“イノベーション”と言い換えてもかまいません。しかし、イノベーションは最初からそれを狙って生み出せるものではないのです。偶然の発見が社会を変革するような新しい価値につながったとき、初めてそれがイノベーションと呼ばれるのではないでしょうか? 研究を行っていると、しばしば細胞が不思議なサインを出すことに気付きます。「あれ、これなんだろう? もう少し調べてみようかな」そんな遊び心から始まった研究が思わぬ成果を生むことだってあるのです。

異分野融合という言葉をあちこちで耳にするのではないでしょうか? バイオテクノロジーとは生命科学と工学が融合した分野です。最先端医療の現場では、人工知能を活用したがんの発見や生命現象の予測なども行われるようになってきています。21世紀のライフサイエンスはまさに異分野融合の結集なのです。LSCでは民間企業との連携にも力を入れており、最近、大手ビール会社との共同研究をスタートさせました。そこではあえて実用性を意識せず、ゼロから新しいことを作り上げていくスタンスで研究に取り組んでいます。

価値を創造。基礎研究を究め未来のニーズをいかにして創造するか、LSCは価値創造拠点となることを目指します

難問にチャレンジする勇気を持ち、何かに没頭できる学生を全力でサポート

LSCでは人材育成にも力を入れています。学生にとって重要なのは、難問にチャレンジする勇気を持つこと、そして何か一つのことに没頭すること。それを支えるのは、やはり好奇心と探究心です。では、具体的にどうすれば研究者としての実力がつくのでしょうか? それは、目的を達成するために自分の頭で考え実験計画を立て、実行し結果を得る。結果が良かろうが悪かろうが、次に何をすべきかまた考えて実行する。このサイクルをひたすら回して思考力を強化することです。何かに似ていると思いませんか? それはアスリート、スポーツ選手です。彼らは、どうすれば速く走れるのか、どうすれば飛距離を伸ばせるのか考え、自分の肉体を使って実験し結果を得る。うまくいかなければまたやり直す。そしてだんだんと強くなっていきます。研究者を目指す若い人たちも、このサイクルを繰り返すことでどんどん感覚が研ぎ澄まされていくはずです。研究にはそうした訓練が絶対に必要なのです。

私たちは世界の最前線で研究を行っています。未知の領域に踏みこんで新たな発見をするには、途方もない忍耐力と集中力を要します。うまくいかないことも多々あります。しかし、自分の頭で考え実験しながらもがき続けていると、ある日突然視界が開けて、目の前が急に明るくなることがあります。そのときの喜びは、他ではなかなか味わうことができません。幼い頃、補助輪を外して転んでばかりいたのに、ある日突然、すっと乗れるようになった自転車。あの感覚に少し似ているかもしれません。良い研究者になるための素養とは、何か一つのことをとことんやり抜く“没頭力”を持つこと。物事は困難な方が面白いのです。難問にチャレンジする勇気を持ち、何かに没頭できる人、私たちはそんな学生たちを全力でサポートします。

在学生インタビュー

社会に貢献したい思いで酵母モデルの研究に打ち込み
大学院修了後は食品の開発へ

理工学研究科 理工学専攻 生命科学コース 博士前期課程 2年

藤田 聖也

藤田さんは入学当初から社会貢献できる研究・開発職を意識し、現在では酵母をモデルとする生命現象の研究に取り組み、研究で培った課題解決力を生かしたいと語ります。修了後は、食品企業での製品開発に従事する予定です。

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卒業生インタビュー

生命科学の視点をもって皮膚科学を重視した化粧品開発に携わる

全薬工業株式会社
理工学部 化学・生命科学科卒業
理工学研究科 博士前期課程修了

天野 香織

化粧品や医薬品の開発に憧れ、理工学部化学・生命科学科で学んだ天野さんは、全薬工業株式会社でスキンケア化粧品の開発に携わっています。製品の企画から完成後の販売促進支援まで、仕事は多岐にわたると語ります。

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教員インタビュー

未知への挑戦
酵母菌に学ぶ高水圧環境への適応戦略

理工学部

阿部 文快 教授

「ひとと同じことはしたくないな」。そんな想いから高水圧に適応した微生物の研究にめぐり合った阿部教授。独創性に富む研究内容からは、世界も唸る発見が生まれます。0から1を見い出す基礎研究の重要性を阿部教授は説きます。

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分子レベルで生物の仕組みを解き明かすことが、
新たな物理法則の発見につながる

理工学部

富重 道雄 教授

生物を細胞内の分子レベルで見てみると、そこには「分子機械(ナノマシン)」の世界が広がっています。物理学で生体の謎を解明し、新たな物理法則を求める姿勢に迫ります。

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レーザーを使って「分子の世界」を紐解く

理工学部

鈴木 正 教授

原子や分子は直接見ることはできませんが、分子に光を当てて得られる反応から「分子の世界」を観ることはできます。光を受けて起こる反応が生命の維持や健康に寄与する反面、病気の原因ともなることが分かってきました。

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関連研究室 Pick UP(各研究室のサイトへリンク)

生命科学

分子遺伝学研究室(阿部 文快 教授)

TORC1を介した酵母の栄養源センシングとシグナル伝達機構の解明
網羅的機能スクリーニングから得られた酵母の高圧・低温増殖遺伝子の解析
ゲノム編集を用いた酵母の遺伝子改変


微生物化学研究室(木谷 茂 教授)

抗生物質を生産する微生物の物質生産能力の開発
異種生物間の化学シグナル相互ネットワークの解明

分析化学

生体分析化学研究室(田邉 一仁 教授)

病的組織の分析技術の創出
核酸機能を活用した機能性材料の開発に関する研究

物理化学

レーザー光化学研究室(鈴木 正 教授)

化学修飾した核酸塩基・ヌクレオシドの励起状態(光線力学療法)
非ステロイド系抗炎症薬による光線過敏症の初期過程
マイクロリアクターを用いた光反応


分光物理化学研究室(坂本 章 教授)

多元的ラマン分光/温度イメージングによる生細胞や生体物質のin situ分析
短寿命分子種や不安定分子種の分子構造解析と機能性物質科学への応用

生物物理

生物物理学、一分子生物学(富重 道雄 教授)

分子モータータンパク質の顕微鏡下での一分子計測
生体分子機械の化学・力学エネルギー変換機構
多数の分子モーターによる動的秩序形成


高分子物理学、統計物理学(坂上 貴洋 教授)

高分子の統計物理学
ソフトマターのメソスケール構造、ダイナミクス、レオロジー
DNA、染色体の動態・機能をはじめとした生命現象についての研究

数理科学

微分方程式のダイナミクス、数理生物学(中田 行彦 准教授)

感染症流行を表す数理モデルの研究
時間遅れをもつ微分方程式の研究